手形の支払いが大変

八二年に「やせる専門店シエイプアツプハウス」がオープンしました。オープンした時には50万円ずつ切った手形が20枚にもなっていました。皆さんの善意で切らせてもらつた手形を不渡りになんか絶対できません。昔からぽつちやり気味の私でしたが、オープンーカ月で体重が8増も落ちました。その頃はものすごく忙しくて大変だったのでしょうが、自分がやりたいと思ったサロンをオープンできたのですから、サロンで働くことが嬉しくて仕方がありません。小さなサロンでしたが、シエイプアップハウスは、にこにこ笑って通って下さるたくさんの素敵な女性のお客様で溢れていました。今でも、うちのサロンでは生花を飾るという習慣がありますが、これは、その当時、頑張って働いて、いつもお花を飾って、お客様をお迎えできるサロンになりたいと思ったことがきっかけです。素敵なお客様にたくさんの励ましを頂きながら、この方達にもっと喜んで頂けるよう一生懸命勉強しよう、資格もとろう、技術も練習してもっと上手くなろうと素直に思い、実行して今日に至っています。

 

いいお客様に出会えたことで、シエイプアップハウスという会社は素直にまっすぐ成長できたと感謝しています。私がサロンをオープンしたいと思ったのは、「なぜこの化粧品を使って施術をするのか」「なぜこの機械を使うのか」ということを、お客様と技術者がお互いに理解して施術ができるサロンを作りたいと思ったのがきっかけでしたから、サロンをオープンする際には、痩身システムを独自で組み立てました。「なぜお客様は来て下さるのか?」「お客様は何を求めているのか?」「なぜ太ったのか?」「なぜ、痩せられないのか?」「どんな太り方なのか?」で」の技術や商品は、どんな変化を及ぼすのか」など、あらゆる疑間とケースを考え抜き、痩せるためのシステムを作ったのです。施術だけではなく、お客様の食生活やサロンヘ通う回数までも、システムの中に取り入れてしまいました。私にはそれは当たり前のことに思えたのです。そうやってお客様一人ひとりの体質を理解し、理想のプロポーションを弾き出し、理論づけられた施術や、サロンヘの通い方までをシステム化したエステティックのコースを作ったところ、今までになかった抜群の効果を出す痩身コースの誕生となったのです。当時の一般のエステティックサロンでは、痩せたいというお客様がいらしたら、パラフィンパックをするのが一般的でした。汗を出すと痩せると思っていたエステティシャンが多くいました。私自身がサロンに通っていた時も、いつ行ってもやることが同じで、行かなくても怒られないし、行き過ぎても何も言われない。