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孤独な4年間

世界一、私を大切に思ってくれていた人がいなくなり、その時初めて「私にはもうこの仕事しかない」と仕事に対する覚悟ができたょうな気がします。初七日を終えて大阪へ帰り、サロンヘ出た時にお客様への頭の下げ方まで変わったことが、自分でも分かりました。その頃、母と同年代のお客様が愛おしくて、とても大切に接客しました。そして、お客様達もケーキを焼いたりお寿司を作ったりして、サロンに持ってきてくれます。たくさんのお花をサロンに生けて下さいました。私はお客様を幸せにするどころか、お客様達に慰められていました。お客様の喜ぶことを一生懸命にやろうと思いました。涙が出ないようにクタクタになるほど動いていたいという気持ちもありました。病院への往復でサロンの売り上げはどん底まで下がっていましたが、またどんどん忙しくなり、お客様に「先生、脱毛って永久なの?」と聞かれれば、脱毛のスクールに通い、「美顔もしてほしい」と言われれば、美顔のスクールにも通い直す日々が続きます。お客様からは商売のいろはを教えてもらい、母が亡くなった時には慰めてもらい、本当によく色々と面倒を見て頂きましたそんなお客様から「通うのが大変だから、うちの近くにもお店を作ってほしい」と言わることが多くなりました。そして、サロンをオープンして1年半が経った頃、2店、3店と、お客様の家の近くにサロンを増やしていきました。サロンが3店舗になり、会計士の先生から、いつまでも個人店でいるわけにもいかないから会社を設立するよう勧められました。まだ27歳でしたが、その頃には月に1000万円ものお金が手元に残るようになっていたのです。これでは人生がおかしくなってしまうと思い、会社の設立を決めました。人四年、設立。そして、自分の給料を50万円としました。そのことで私は少しほつとしました。

 

サロンは常に人手不足でした。世の中にエステティシャンという職業があることすら知られていなかったことも理由の一つだったのかもしれませんその為、色々な人を採用しました。働き始めて、その日の午後にはいなくなってしまう社員までいました。その頃の私は社員に対していつも、「なぜこんなことができないのか」「なぜ分からないのか」とイライラしてばかりいたような気がします。それでもコミュニケーションをとろうと食事に誘ったりするのですが、食べながら他所を向かれてしまうようなこともありました。何度も、「人を使いたくない。自分一人で働きたい」と思っていました。そんな時に、従妹が短大を卒業して入社してきました。この時に初めて話せる社員ができたと思いました。私は一人ではないと強く思いました。それまでの4年間は本当に孤独な4年間でした。